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時は1995年の夏、一人の少年に出会った、夜回り先生(水谷修)。1991年の冬、その少年はお母さんと二人暮らしをしていた小学生だった。母は病気がちで働きにも出られない。生活はかなり厳しいものであった。 |
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食べる物も買えなくて、1駅2駅離れたコンビニへ期限切れの弁当をもらいにさまよって歩く少年。夜中の1〜2時頃、回収のために置いてあった弁当を持って帰っては母と食べた。そんな生活が何年も続き、学校からパンをいくつか?もらって帰った。その帰宅途中、同級生から虐めにあい、パンを無残にも踏みつけにされてしまった。そのパンをそのまま母と食べるわけにもいかず、同アパート内の人にレンジを借り、卵の入っていないフレンチトーストを作って母に食べさせた。 |
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その頃から近所にいた暴走族に優しくしてもらい、その暴走族と“つるむ”ようになった。シンナーを吸い初めていたこの頃、すでにシンナーをやめられなくなってしまっていた。夜回り先生(水谷修)はなんとか少年にシンナーをやめさせようと自分の家へ連れて帰る事にした。後、一緒にいる間はシンナーを吸わなかったが、調子がよくなり家へ帰ると再びシンナーを吸ってしまう少年。 |
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そんな事が何日も続き、「夜回り先生(水谷修)のところではシンナーをやめられない。」と思った少年は、薬物依存症を治療する医療機関へ行きたいと夜回り先生(水谷修)に伝えるが、冷たくあしらってしまった夜回り先生(水谷修)。そして、家へ帰った少年はシンナーを吸い、被害妄想がひどくなって自殺してしまった。 |
その事から「自分が殺してしまった。」と自分を責めた夜回り先生(水谷修)。後、学校の先生を辞めようと思い、荷物をまとめているとその少年が言っていた病院の事が書いてあった新聞に目が付いた。辞める前にその病院を訪れる事にした夜回り先生(水谷修)。
病院の院長は「薬物依存症は病気であり、愛の力では治らない!」と夜回り先生(水谷修)を叱ったのである。 |
病院の院長との出会いがあり、学校の先生を続ける事にした夜回り先生(水谷修)。病院と提携して若者の薬物依存症に益々、携わる事になる。
夜回り先生(水谷修)の両親も当人が5歳の頃、離婚して祖母にあずけられいた。その頃、寂しい思いをして、後、学校の先生となり現在がある。その寂しい思いをリストカットして過ごしていた事もある夜回り先生(水谷修)。 |
機能不全家族からリストカットや過食おう吐をしてしまう現代人。しかし、家族内が機能していないという現実をなかなか受け入れられない。現代の子供たちは居場所がなく夜の街へさまよう。
「自分は子供たちに携わる事で生きることが出来ている。」と語る夜回り先生(水谷修)。子供依存だとも言っていて、その事を認知。その真相はやはり夜回り先生(水谷 修)もアダルトチルドレン(トラウマ・サバイバー)であったように思えてならない。自助を優先することなく他助を優先した稀なケースにて救われている夜回り先生(水谷修)。
夜回り先生(水谷修)は子供たちと共感できる部分があり、心から子供たちと携る事が出来る。 |
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夜回り先生の番組はビデオ録画しているので、ご覧になりたい方は -> VCD鑑賞 |